掃除する

1hr/day

by the end of 2024

付喪神

19-28℃ 晴れ 日の出04:25/日の入り18:59 月齢6.6

燃えるゴミの日。ゴミ出せた。

掃除していて過去の嫌なことばかり思い出す。今朝もNoと言えなかったこと、言っても無視されてしまったこと。適切に自己主張できなかったこと。つらい、悔しい、そんな気持ちが込み上げてきて、朝から辛かった。

今日は軽い掃除を少しだけ。昨日、カゴと収納BOXを入れ替えた寝室の棚の掃除。昨日は入れ替えだけで、ホコリもそのまま、汚れもそのまま、雑巾もかけてなかったので、今日はその小さな棚を掃除した。引出し全部出して洗って、入れ替え前のカゴも洗って再利用に備える。それで終了。他にもしたいけど、昨日動きすぎを反省したのだからこれで終了、つづきは明日。

台所の棚の後ろに行って忘れ去られ、未使用のまま日焼けしたスポンジちゃんと使ってあげる。捨てない。モノへの愛。人間よりもモノに愛着があるのかも。モノにも命があり、心があるような気がしてしまう。私は付喪神の話を本気で信じるだろう。馬鹿げているだろうか。でもそれはいいことだ。昔から◯◯供養って、歯ブラシ供養まであるんだ、この国には。

幼い頃からずっと、人間社会で疎外感を感じていた。自分は、人類で、書類上日本人となっているけれど、姿形が偶然アジア人に似ているだけの、たまたまここにいるだけの、全く別の歴史と文化を持った、気が遠くなるほど遠い昔に絶滅した、別の種族の生き残りではないか?と思うことがたびたびあった。そして、この世に同族は一人もいないのだと。

現代人が付喪神やモノ供養なんて“なんの意味もない話”を歯牙にもかけなくても、昔の日本人の精神性の一部に、今の私が似かよった心根を感じれるのはいいことだ。私が自然界と人が作ってきた文化的世界の一部に属しているような気持ちになれるのだから。

モノってなんだか、捨てれないよなあ。

さあ。午後から温泉に行こう。